016:長い夜
 夜が明けないようになってから、もはや幾日の時が経ったのかもう誰も分からなくなっていました。
 太陽が死んでしまってから、お月様は休みなく働き続けています。
 ただ長い長い夜が続いていました。
 夜の帳に包まれた静寂に満ちた世界を、太陽の花は嘆いていました。
 ――あぁ、なんてことに。全て私のせいだ。
 生まれた時から他のどの花よりも小さかった太陽の花は、当然のように成長が遅れていました。
 本当だったら、とっくに花開いていたというのに。
 本当だったら、とっくにその身に新しい太陽を実らせていたというのに。
 けれども、太陽の花はまだ小さな蕾に過ぎません。
 そして、蕾から花開くためには、太陽の光が必要なのです。
 ――あぁ、なんてことに。きっと私はこのまま枯れ落ちてしまうのだ。
 太陽の花は来る日も来る日も泣いてすごしました。
 その小さな葉っぱに涙を一杯ためて、長い長い夜をすごすのでした。

( 021:小さな約束につながります。)

017:スティグマ
 幼い頃、一昨々年に亡くなった祖母に左の手の平を見せてもらったことがある。
 普通の人にとっては別段珍しくもないことであるが、私の祖母の場合は別だった。彼女はいつもこじゃれた黒い手袋で左手を隠していたのだ。
 私はもちろんのこと、実の息子である父も彼女が手袋を外しているところをほとんど見たことがないというのだから、私が祖母の左の手の平を見せてもらったのは、酷く珍しい、特別なことだった。
 彼女の皺くちゃの大きな手。
 その皺に埋もれるようにして、それは存在していた。
 祖母の手の平の上に重ねられたもう一つの手、あるいは幅広の葉の影のようにも見えた。
 古い黒ずんだ痣のようなそれは、おぼろげな記憶の中であってさえくっきりと浮かび上がるのだ。

 祖母が途切れがちに掠れた声で語ったところによれば、そのシルシには全てが流れ込んでくるのだという。
「世界の何たるかを知り、世界の理を学びなさい」
 自らの手の平のシルシごと私の小さな手を握った祖母が残した言葉である。
 当時の私にはさっぱり意味の分からない言葉だったが、今になって私は彼女のその言葉の意味を知った。
 私の左手にうっすらと浮き出たスティグマ。
 魔女の血を引いた娘は、また魔女になる運命なのだ。

018:混血
 私(ワタクシ)、猫でございます。
 ……なに。猫は喋る生き物ではないと? 何をおっしゃいます。
 猫が喋っちゃ悪うございますか。猫が喋っちゃいけないという法律でもありますか。
 いえいえ、別に責めているつもりはございませんよ。喋る者も居るのだということさえ知っていただければ結構でございます。

 さて、少しばかり古いお話をいたしましょうか。
 昔々にね、化け猫が一匹おりましたのですよ。私などは、喋れるだけでこの爪もこの尻尾も普通の猫と変わりませんでしょう。あえて言えば、この自慢のお髭は他の猫などよりも少しだけ長くて少しだけキレイでございますけれどね。いえいえ、私めの事は別に関係ないのですがね。
 とにかく、その猫さんは、一目で化け猫だと分かるような様子でございましてね。でっかい体にボサボサの毛並み、ぎらつく猫目に、尻尾などは二股に別れていたのだという話もございます。今は亡き変化の術を使うことも出来たという具合。
 まあ、どこからどう見てもバケモノでございますな。
 ところが、この化け猫さん。ある時、人間の娘っ子に恋をしてしまうのでございます。
 ……え? もう先は読めたので、良いって? そうおっしゃらずに、少しばかり辛抱してくださいな。
 とにかく、その化け猫さんは、自分の思いを遂げたくて、りりしく立派な青年に変化して、娘さんに会いに行ったのでございますよ。
 どうかどうか、私と一緒においでください。一生を共に過ごしましょう……とね。
 ところがどっこい、その娘さんはすでに心に決めた人が居るという。
 あぁ、なんという事でございましょうか。
 その化け猫さんの心中や、語るも涙、語らぬも涙でございます。
 それでも、化け猫さんは諦めきれずに毎日のように様々な見目麗しい若者達に変化して、娘に会いに行くのですな。ある時には立派な衣を着た若い王様、またある時には若くして大金持ちの商人、という具合に。ああ、なんと健気なことでございましょうや。
 それでも、頑として娘っ子は首を縦に振らないのでございます。
 もはや、打つ手なしと考えた化け猫さん、最後に素朴で純情な青年に化けて会いに行くことにいたしました。これが一番自分に合った姿だと思ったのでしょう。あるいは、情に訴えかける作戦に出たのかもしれませんな。
 ところが、やっぱり、娘さんは首を縦には振らなかったのでございます。
 あぁ、なんとかわいそうな化け猫さん。
 化け猫さんの落胆ぶりや、変化の術も思わず解けてしまうほどでございます。
 そして、奇跡のような奇妙なことが起きたのでした。
 今まで頑として首を縦に振らなかった娘さんの頬が真っ赤に染まったのでございます。
 そうして、娘さんは言いました。
「なんとなんと、あなた様は私の愛しい愛しい猫さんだったのでございましたのね。遠くからあなた様を見かけるたびに胸が高鳴って仕方がありませんでしたのよ」
 化け猫さんは、そりゃもう驚きましたわな。なんてったって、彼の姿ときたらどこからどう見てもバケモノ≠ネんですからね。
 それでも、娘さんは優しい笑顔で言うのでございます。
「姿なんて関係ございませんわ。私はありのままのあなた様が好きなのです」
 ああ、なんと優しい言葉でしょう。ショックで冷たく固まってしまった化け猫さんも、幸せで天にも昇りそうなくらいでしょうな。
 それから、それから、一人と一匹は死ぬまで一緒に仲睦まじく過ごしたそうでございますよ。

 ……なに。そんな馬鹿な話があるかと? 猫が人に恋をしたって、人が猫に恋をしたって別に良いじゃぁありませんか。
 いえいえ、別に信じなくても良うございますよ。
 ただね、一つだけ言わせていただきますとね。
 その後、二人の間に出来た猫と人との混血の子供さん。この子供さんは一匹の猫さんと結婚しましてね。
 お髭が他の猫などよりも少しだけ長くて少しだけキレイな喋る子猫を生んだそうですよ。