001:時計
チクタクチクタク。
チクタクチクタク。
重い扉を押すと、中から大小さまざまな時計が自分勝手に音色を奏でて生まれた重奏が聞こえてきた。
部屋中、針と文字盤ばかりで、秒針の奏でる音があちこちから重なる。軽いめまいを感じた。古い骨董の匂いが気付け代わりに私を刺激する。
分厚い板を載せたカウンターで老人が一人揺り椅子に座り、まるで死んだように眠っている。
そろりと中へ入ろうとして、壁にかけてあった鳩時計にポッポと迫力のない警告を受ける。老人が片目を開けた。目が合った。私は意味もなくビクリと肩をすくめる。何を怖がる必要があるのだ。
「すいません、古い懐中時計を探しているのですが」
私は掠れた声で言った。のどが渇く。じわりと口内に滲んだつばを飲み込んだ。
「どんな懐中時計だね?」
老人もやはり掠れた声で言った。だが、私のそれよりもずっと低くて重みがある。まるで、一文字一文字確認するようにゆっくりとつむがれたその言葉に私は身震いをする思いだった。
時が来た。
数日前に、時計屋に言ったきり行方をくらませた双子の片割れが、最後に口にした言葉。
そして、私も彼女と同じ道をたどろうとしている。否、きっと彼女と同じ道はたどらない。
私は、彼女ではない。だから、彼女と全く同じ道を行く事はないだろう。ただ、入り口が同じだけだ。
老人が、ごほんと低い堰をした。用がないなら帰ってくれという態度だが、しわに埋もれた瞳が別の事を問うているのに私は気づいた。
言うべきことはたった一つ。しっかりと準備してある。
古い抜け殻を脱ぐように。
私は新しい時間を歩む。
時が来た。
「時間をまたぐ時計を――」
老人はおおよそ老人らしからぬ不適な笑みを浮かべた。
002:荒れた大地
果てた大地とはこのことだ。
灰色に塗りこめた空がのしかかっている。太陽などという物はもはや神話の中の産物として消えうせ、後はただ分厚い雲が垂れ込めるのみ。
昼夜問わずまるで厚手のカーテンでも引いた室内のように薄暗く、まるで煤が舞い上がるように空気は濁っている。
大地は緑を失い、赤黒い岩肌をこれ見よがしに露呈している。そのような大地に緑を欠いて行き場を失った水を吸収する力など到底なく、油にまみれた泥臭い匂いばかりが鼻をつく。
何もない。
否、あることにはある。瓦礫が危なっかしく積み上げられた積み木のようにうずたかくそびえている。その姿は奇怪な怪物のようでさえあり、重苦しい存在感をも放っている。
だが、それが何の役に立とうか。役に立たない物などないも同じだ。
人が訪れる事もなく、かといって、動物が住み着くわけでもない。必要とされるわけでもなく、また、邪魔にされるわけでもない。
ただ、そこに在るというだけだ。
骸の街≠前にして、私はようやっとそれが骸と呼ばれるわけを理解した。
003:さいごの皇帝
冠をおろす。
簪を抜き取り、綺麗に結わいた黒髪を崩す。
鮮やかな刺繍の施された衣を脱ぎ捨て、色あせた衣の袖に腕を通し。
緋色の杖を投げ捨て、そして、剣を手に取る。
「詰まらぬ御託は聞き飽きた」
ある日、かの皇帝はそう言った。
憂鬱やるかたない言葉だった。
皇帝はどこを見ているとも分からぬ視線のままに、何を考えてるのか分からぬ口調で呟く。
「つまらぬ」
官吏達は何とか皇帝のご機嫌を取ろうと大立ち回りを演じたが、どれも成功にはいたらず。
皇帝は口癖のように同じ事を繰り返し呟くばかり。
つまらぬ。つまらぬ。つまらぬ。
「では、何がお望みなのですか」
ある日、大臣職の一人がそう聞いた。
皇帝はしばらく考えた後、頬杖をついたまま悲しげに笑って見せたという。
そして、次の日に皇帝は困惑極まる宮廷の中から姿を消した。
皇帝の笑みの理由は誰一人分からないまま。
今はただ残された冠ばかりが、座に座る。