007:ギルドマスター
 特権的同業者組合。
 いわゆる、ギルドという仕組みが考え出されたのは十一世紀、中世ヨーロッパでの出来事だと言う。
 当時は商業の自治管理もとい斡旋が目的だったというが、その後その言葉は様々な遍歴を経て、現在ではすっかり仮想世界の管理組合を指すようになっていた。

「あー、仮想世界というのはあれですよ、お客さん。うーん、なんと言ったものかな」
 こつこつと手にした羽ペンで羊皮紙をたたく。インクがじわりと滲んだ。
 ずいぶんと古風、いや、アンティークな机に頬杖を付いて言った彼女は困りはてた様子で、眉間に寄せた皺を指で押さえた。
 スタイリッシュな眼鏡に小奇麗な服。髪は後ろできっちりまとめられている。さしずめ受付嬢といったていの女である。
 古い調度品でまとめられた部屋の中で、ただ一つ現実感を放っている。時代の中に放り込まれた異物。まるで、タイムスリップで飛ばされたOLのようだ。
 彼女は相変わらずコツコツとペンを鳴らしながら、説明をする。インクが机まで染みそうで心配だ。
「夢ってのは分かりますよね。はい、寝てみる夢です。そこを私どもは小規模仮想世界と読んでます。夢というのは個人の想像した世界が現実とは別に次元に立ち現れる場であり、あなた方の魂、と呼べるモノですかね。それが眠りを通して、次元を行き来します。ここまでは、分かりましたか?」
 聞いておいたものの、彼女はお客の応答を待たずに話を続ける。右手の指を器用につかい、くるりと羽ペンを回した。
「夢というのは、別次元に新しく世界を作り上げることです。相応の膨大なエネルギーを内包してます。私どもはそのエネルギーの管理、ならびに、次元の狭間に迷い込んでしまった魂の道案内をしております」
 にこりと笑い、ペンを机に置いた。ぽたりとインクが落ちて、机にインク染みを増やす。
 彼女はそんなことなど気にしていない様子で、すっと立ち上がった。笑顔は貼り付けたままだ。
「さて、お客様。水先案内部署空飛ぶ夢の狭間支部へようこそ」
 そう言って、手を差し出す。
「っと、自己紹介もまだでしたね。私は夢宮。ギルドマスターを勤めております」

008:滲んだインク
 その本は魔法の本≠セった。
 本当はもっと小難しい感じのぴったりな名前があったのだろうが、表紙に題名が書かれてない上に誰もその本の正式名称を教えてはくれなかった。
 だから、とりあえず、魔法の本とする。
 その本には持ち主の人生が書かれていた。その人がいつどこで何をしたか、事細かに書かれているのだ。
 そして、その本には未来を書き記すことも出来た。
 その本には生まれた時から今現在まで過去に起こったことは全て書き記されている。しかし、今現在を記されたページより先はどこまでめくっても空白でしかない。
 まだ見ぬ未来。未来と言う物はその時が来るまで、見定めることなど出来ない不確かな物なのである。
 だから、私はそこにインクでもって、未来をしたためてやる。
 そうして、私は思い通りの人生を歩むことが出来る。
 まるで、自分で作った物語の主人公になったような、とても良い気分だった。

 ある日、私はいつものように未来をつづろうとして戸惑った。
 ページが無い。
 とうとう、最後のページに来てしまった。
 ペンを持って、私は途方にくれた。これから、私はどうやって生きていけば良いのだろう。
 悩んだところで答えが出るわけでもない。私は本を持って散歩をすることにした。
 外は雨上がりだった。大きな虹が雲の合間にかかっている。
 そういえば、本に未来を書き始めてから、初めて虹を見たかもしれない。
 私は無意味な事は決して本には書かなかった。人生というものはごく限られた時間でしかない。
 ぼんやりと眺めてながら歩いていたせいか、私は本を水溜りに落としてしまった。
 しまったと思ったところでもう遅い。

 滲んでいくインク。滲んでいく世界。
 そして、かすれていく私。
 何もかもが零れ落ちていった。

009:竜の眠り
 穏やかな熱気に犯された日だった。
 陽炎の揺らめく街中で私は彼にであった。
 袋小路で立ちすくむ私の前に彼は居た。
 煉瓦作りの小道にはまった小さな緋色の小山。固い鱗に覆われたそれは竜だった。
 長い睫をおろしたまま、瞼は開くことはない。
 眠っている。
 彼は一人そこに眠っていた。
 緩やかに上下する背中が何よりもそれを物語っていた。
 熱い吐息が顔面をあおり、熱風が栗色の髪の毛を揺らした。
 呆然と熱に浮かされて立ちすくむ私。
 出会いは私の中で何か甘酸っぱい物をはじけさせた。まるで、初恋の君に出会ったかのように。
 その日以来、私は毎日のように竜の元に通っている。
 誰も知らない小さな袋小路での逢瀬。
 いつだか分からぬ竜の目覚めを私はずっと待ち続けていた。